2009/04/14

山本五十六という人

日本の旧軍に興味の無い人でも「山本五十六(いそろく)」という名前は聞いたことがあると思う。

新潟県長岡市出身。太平洋戦争開戦時(1941)の連合艦隊司令長官で海軍大将、
昭和18年(1943)4月18日、前線視察中にブーゲンビル島上空で乗機を撃墜され戦死。
身長はさほど高くないが、カリスマ性があり、にもかかわらず偉ぶったところがなく下の兵にも優しくほとんど神格化された人物である。
 武官時代は日独伊三国同盟に反対し在海経験もあるリベラル派で、早くから航空機中心の時代が来ることを予見し、開戦劈頭の 真珠湾攻撃で航空機の優位を具現化させた。組織の上に立つ人物としてはまことに好ましく、日露戦争の東郷元帥と並び歴史上の評価も非常に高い提督である。



が、私はここで敢えてこの山本提督の戦略能力についてひとこと批判めいたことを書きたいと思う。

 ここで私のごとき微小な者が山本提督の戦略眼を批判する文章を書いたとしても、彼の歴史上の評価になんら悪影響を及ぼすはずも無く、これに関しては「ごまめの歯軋り」と思ってご容赦願いたい。(つづく)