次回定期チャットは

次回定期チャットは11月10日(土)夜10時からです。

2009/04/28

幻の変化球(熱闘中学野球)

私は中学時代、野球部員だった。
それまで、外野、ファースト、キャッチャーなどのポジションを経て3年生の春ついにエースピッチャーに抜擢された。・・・ただ、球が重いという理由だけで。

 =ある日のグランド=
監督:「さんちゃん!(←仮名)ちょっとマウンドから投げてみろ!」
さんちゃん:「はい」 バシッ!
監督:「キャッチャー、どうだ?・・・球は重いか?」
キャッチャー:「エ・・・・は?・・・はい・・・。」
監督:「よし!お前今日からピッチャーやれ!」
さんちゃん:「うぇ!?」

これだけでピッチャーになってしまった。中学生のキャッチャーに球が重いか軽いかなんてわからねーって。これで我が野球部の実力が知れようと思う。

さらに我が野球部の実力を示すエピソードをひとつ。他中学との練習試合で。

場面はツーアウトランナー2塁、バッターはさんちゃん。
バッターボックスに入る前にベンチの監督のサインを確かめる。
だいたい2アウトランナー2塁でサインがでるわけないのだが、一応どんな場合でもサインは確かめなくてはならない。
・・・と・・・・ベンチの監督がさかんに手を動かしてブロックサインを出しているではないか。
(・・・なになに?・・・2ストライク目に・・・送りバント・・・???送りバントォ???)

「タ、タイム願います。」
私はタイムをとってあわててベンチに確認に帰った。
監督は腕組みしたまま
(ワシの考案した巧妙かつ複雑なブロックサインが読み取れなんだか・・・この未熟者めが)という表情でムスッとしている。
「・・・あの、監督。ツーアウトなんですが。」
「・・・・ツーアウト?・・・・・・。」

(メ▼▼) ツーアウトなら打ちゃあええじゃろがー!

いちいちベンチにかえってくるなー!

・・・オイオイ・・いい年こいて逆ギレですか・・・(;-_-)。

 □■□■□■□■□■□■

球が速くて重いという理由だけでピッチャーとなっただけにその後の戦績も芳しくないまま我が弱小野球部も夏休みの最後の公式戦を迎えた。

球は速いがノーコン。・・・

これだけ聞けば侍ジャイアンツの番場蛮みたいでかっこいいが、要は急造ピッチャーで投球フォームがかたまっていないだけのこと。
この最後の試合も私はエラーとフォアボールでランナーをかかえマウンドの上であえいでいた。

場面は2アウトランナー1.3塁。カウント2-3
スコアは3対1で負けている。もうこれ以上点はやれない。

容赦ない夏の日差しに滴り落ちる汗を袖でぬぐってセットポジションにはいる。
そのとき相手ベンチから打者にむかって大声でアドバイスが飛ぶ。

「ヘイ!バッター!このピッチャー2ストライクからカーブくるよ!」

・・・ふふ~ん。俺たちのような弱小チーム相手でも一応データは集めてるんだな。・・・

相手ベンチからのアドバイスはピッチャーの私の耳にもとどいている。
 一度軸足をプレートからはずし牽制球・・・その間、頭の中を整理する。

わざと聞こえるようにカーブがくると言うのは、単に打者にカーブを注意しろという意味か?
それとも、私にカーブを投げさせないようにするための心理作戦か?
・・・さぁて・・・どんな球をなげてやろう・・・

「よし!」心を決めた私は、再びセットポジションからここが正念場と魂のボールを投げ込んだ。
球は内角高め・・・というよりむしろ右打者の頭上にむかって進む。
 --珍しく狙い通りに球がいった。--

自分の頭上に向かってくるボールに打者はカーブとみてバットを振りにきた。
カーブ打はスイングをワンポイント遅らせて右へ流す、が原則だ。
ここからググッと変化してストライクコースに入ってくるはずと予測したバッターはうまくステップでタイミングを調節して、腰を入れた見事な右打ちへのスイングをはじめた。

・・・・・が・・・・・・

球は曲がりもせず、そのままバッターの頭上を通過していっぱいに手を伸ばしたキャッチャーのミットへズバーン!
ワンポイント遅らせて腰のはいった右打ちのお手本のようなスイングがブーン!

おいおい・・・ボールはとっくに通り過ぎてるぜ、へへ!


「ストライーク!バッターアウト!」アンパイヤの右手が上がる。

こうして私は見事ピンチを切り抜けた。味方の野手が口々に「さんちゃん、ナイスピッチ!」と褒め称える。

こっぱずかしい三振をした相手打者がずごすごとベンチに引き上げる姿を横目でみながら私は内心ほくそえんだ。

ふふふ。見たかこの頭脳ピッチング!だいたいオマエらデータに頼りすぎなんだよ。

だって・・・・

だって・・・・

オイラ 急造ピッチャーでカーブなんて投げられないんだよ~ん。Ψ(`∀´)Ψケケ

そのデータ・・・他のピッチャーと間違ってるよ~んダ。(^m^)プププ


結局その後両チーム得点がはいらず最後の試合は終了した。
こうして 私の中学での野球生活は終わった。野球部のない高校に進学したため、その後遊び以外で野球はしていない。
中学時代に灼熱のマウンドで投じたこの会心の一球。30年以上経った今でもその感触は手に残っている。

投げるつもりもなく、というよりもともと投げることができなかった幻の変化球よ。Forever!

2009/04/24

こんなはずでは

いやぁ・・・笑わせてもらいました。草なぎ事件。

草なぎ容疑者逮捕に対しての鳩山邦夫総務相の「最低の人間だ」発言は
撤回されたそうです。(^m^)ぷぷ

 勢いこんで「最低」と言ってみたまではよかったが、世間の反応はおおむね
「確かに法律違反だけど、酔っ払って公園で裸になってわめいたくらいで
逮捕はいきすぎじゃないの?」という反応に、逆に鳩山バッシングの危機を
感じたみたいですね。

 地デジ推進キャラとしての責任感の無さもせめていたみたいだけど
こういう場合、政治の世界では「任命責任」といって
あんたが責任とってやめなくちゃいけないんじゃないの?
(総務大臣が任命したのかどうかはしらないけれど)

 まあ草なぎ君だけじゃなく、そこのあなたも、そしてこちらの私も
酒には充分注意しましょう。

2009/04/14

山本五十六という人

日本の旧軍に興味の無い人でも「山本五十六(いそろく)」という名前は聞いたことがあると思う。

新潟県長岡市出身。太平洋戦争開戦時(1941)の連合艦隊司令長官で海軍大将、
昭和18年(1943)4月18日、前線視察中にブーゲンビル島上空で乗機を撃墜され戦死。
身長はさほど高くないが、カリスマ性があり、にもかかわらず偉ぶったところがなく下の兵にも優しくほとんど神格化された人物である。
 武官時代は日独伊三国同盟に反対し在海経験もあるリベラル派で、早くから航空機中心の時代が来ることを予見し、開戦劈頭の 真珠湾攻撃で航空機の優位を具現化させた。組織の上に立つ人物としてはまことに好ましく、日露戦争の東郷元帥と並び歴史上の評価も非常に高い提督である。



が、私はここで敢えてこの山本提督の戦略能力についてひとこと批判めいたことを書きたいと思う。

 ここで私のごとき微小な者が山本提督の戦略眼を批判する文章を書いたとしても、彼の歴史上の評価になんら悪影響を及ぼすはずも無く、これに関しては「ごまめの歯軋り」と思ってご容赦願いたい。(つづく)

2009/04/10

大艦巨砲主義

「大艦巨砲主義」
読んで字のごとくより大きな艦により巨大な大砲を積み込んで戦闘能力を高める考えかたである。
言葉としてはただそれだけの意味しかないが、そこにはなんとなく、前近代的で古い、あるいは短絡的で浅いというニュアンスを含み持って使われる事が多い。
 そういうニュアンスをあたえる原因は戦艦大和(あるいは同型艦の武蔵)の負うところが大きいだろう。
この「大鑑巨砲主義」はおバカな日本帝国海軍の専売特許のように考えられがちだが、それは間違いである。その証拠に日本海軍では戦艦の建造としては1938年起工、1942年竣工の戦艦武蔵が最後であるが、米海軍の5万t級戦艦ミズーリは1941年に起工され1944年竣工している。
要するに当時の列強海軍国はこぞって大艦巨砲主義であったのだからしょうがない。


 しかし、昭和16年12月。まるで「大和」の完成を待っていたかのように始まった太平洋戦争において皮肉なことに日本海軍は自らのハワイ真珠湾攻撃で戦艦の時代に幕を降ろしてしまうこととなった。
攻撃の中心は航空母艦および航空機へと変わってしまった。(つづく)




 

2009/04/07

世界三大無用物

世界三大無用物・・「ピラミッド・万里の長城・戦艦大和」という記述を見たことがある。
大きいだけで大して役にたたなかった物を揶揄した言葉だとおもう。
この「世界三大・・」「日本三大・・」というものは多くは自称的なもので
世界中どこでも通用する言葉ではではない。
おそらく戦後、その多大な建造費用や軍の期待を裏切って戦闘艦としては
ほとんど実績は残さず沈んだこの戦艦を自嘲を込めて日本で生まれた言葉だとおもう。

ピラミッドや万里の長城が役にたったのか否かは私は知らない。

が、「戦艦大和」が実戦で役にたたなかったことは紛れも無い事実である。

H20/2/11 広島県呉市大和ミュージアムに於いて撮影


本日 4月7日は、この大和が沖縄への途上、鹿児島県坊ノ岬沖で米軍の艦載機によって沈められた日である。(昭和20年)
前日の4月6日夕刻、山口県徳山沖から出撃
豊後水道を南下する頃にはおそらく日も暮れて遠く九州の陸地に咲く桜は乗員たちには見えなかったかもしれない。

丁度桜満開のこの時期に、ちょっとたいそうな事だが、日本にとって「戦艦大和」とは何だったのか?
何度かに分けて考察していきたい。(つづく)

*なお、この記事に対するコメントはこのシリーズを最後まで読んでからいただきたいと思います。

2009/04/03

ええなぁ~

いやぁ~ええなぁ~

(* ̄@@ ̄*)


深キョンのドロンジョ様。


この記事手抜きだぁ~・・・