「小沢」といっても民主党の一郎さんの話はひとまずおいといて・・・。
昔、小沢治三郎(じさぶろう)という海軍提督がいた。
戦前の海軍においてそれまで艦隊の護衛的立場で
分散使用されていた航空母艦を集中運用することにより
世界に先駆けて非常に攻撃力のある「機動部隊」というものを
誕生させた提督である。
その後、対米英開戦止む無しということになり
その第一撃として機動部隊によるハワイ真珠湾空襲が
立案されるのだが、その機動部隊を率いたのは
年功序列により、航空母艦の運用に定評がある小沢(海兵37期)ではなく、
水雷畑の南雲忠一中将(同36期)であった。
ご存知のように機動部隊による真珠湾攻撃は戦術的には日本の
大勝利となったが、一方、
1)奇襲のはずが「だましうち」の汚名をきせられ
それまで対外戦争には消極的だった米国民の怒りに火をつけてしまった。
2)たまたま真珠湾から出港していた米空母群をそのまま無傷で残してしまった。
3)敵艦船への攻撃に集中してしまい港内のドッグ、石油備蓄施設などの
軍港施設に攻撃がいきとどかなかった。
など、戦略的には多くの課題を残した。
その後はご存知のとおり、ミッドウェー海戦でハワイでうちもらした
米空母のラッキーパンチをくらい日本機動部隊は主力の
正式空母4隻と実戦経験豊富な多くの熟練パイロットを一挙に
失うこととなる。
ここでもし畑違いの南雲ではなく専門家の小沢を使っていたら・・・・
などと架空の話をもちだすつもりはない。
確かに自軍の空母を1隻か2隻は沈めてもいい覚悟で
真珠湾にいなかった米空母群を探し出してこれを徹底的に叩いていたら、
その後の展開は少しは変わっていたかもしれない。
(もちろん、だだ戦争を長びかせるだけの結果だとは思うが・・・)
ミッドウェー後、日本軍は戦時生産体制の整った米軍に
どんどんと太平洋を押し返され・・・・
そして、昭和19年6月。米軍のサイパン島上陸。
最新鋭空母「大鳳」の完成を見た海軍は残った空母全てを
小沢に任せて、起死回生の一発勝負に出た。
「マリアナ沖海戦」(あ号作戦)と呼ばれている海戦である。
しかし・・・・時すでに遅し。
実戦経験豊かなベテラン搭乗員のほとんどを失っていた日本軍に対して
米軍はレーダーやVT信管(命中しなくても目標の一定範囲に近づけば起爆する
対空砲弾の信管、別名マジックヒューズ)
などの先端技術を使い、日本に残された最後の機動部隊に壊滅的打撃を与える。
小沢艦隊大敗の報に海軍軍令部は歯噛みして悔しがったにちがいない。
・・・小沢の使い時期(どき)を誤った。・・・・と
なぜ名将小沢は大敗を喫したか?
もちろん先に述べた通り、彼我の戦力差、技術差があった
ことは最大の要因である。しかし忘れてはならないもうひとつの要因。
それは、小沢の作戦(アウトレンジ戦法)に若い未熟な搭乗員の技量が
ついていけなかったということである。
【アウトレンジ戦法とは・・・・米軍機に対して航続距離の長い日本軍機の
特性を活かして、常に敵機の攻撃可能範囲外に自空母を置き、こちら
からのみ攻撃を加えていく戦法】 小沢艦隊敗戦のもうひとつの原因は、開戦当初のベテラン搭乗員になら
やれたであろう困難なオペレーションをそのまま若手搭乗員を使って
やってしまった。ということである。
つまり、周りの環境の変化に気づいていなかった・・・。
かつての栄光を今も持ち続けていると
勘違いしてしまったためではないだろうか・・・・。
と、
長々と太平洋戦争の「小沢」さんのことを書いてきましたが
さて現在の「小沢」さん。
すでに環境は変わってしまっていることにお気づきでしょうね?
そして・・・・
小沢の使い時期(どき)はもうとっくに過ぎちゃってるということも。